がんになっても -がんの治療を、その人「らしい」生活のなかで。-

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乳がん・前立腺がん・肺がんを中心に患者さん・ご家族の体験談、高額療養費制度などの情報を紹介

私からのメッセージ

音無美紀子さん
「乳がんとうつ病を乗り越えて」

卵焼きとご飯

―― 立ち直りのきっかけを掴まれ、文字どおり生還、復帰されました。

音無美紀子さん

 秋に退院し、年が明けて、娘が小学校に入学しました。仕事への復帰にチャレンジし、だめになって、うつ病にさいなまれる日々となったことはお話したとおりですが、娘が小学校に入って初めての夏休みも依然調子の悪い毎日が続きました。ですから、プールにも旅行にも連れていってあげられず、なんにもする気がないから、家でかまってもあげられない。夫も舞台で忙しく、今思えばほんとうにかわいそうな夏休みでした。その夏休みの宿題に絵日記があったのですが、材料がなくて、「何を書いていいかわからない」と娘が訴えるのです。

 それで「何がしたいの」と聞いたら、「ご飯と目玉焼きを作ってみたい」と言いました。私は台所恐怖症で台所に入ることすらできずにいたのですが、「目玉焼きなら何とかなるかな」と思い、意を決してフライパンを手にしました。しかし、鉛のように重く感じ、やっとの思いでコンロにかけ、「卵はこうやって割るのよ」って言いながら、卵をトントンと器の角にぶつけて割りました。それがきれーいにできたんです。娘は「あー、できた」ってすごく喜び、それを絵日記に描きました。翌日はお米をといで、炊けたご飯でおにぎりを作り、それもうまくいきました。私にも、できることがあるのだ。その時、かすかながらも前向きの気持ちが宿り、重い体も少しづつ動くような感じがしました。

「ママ、どうして笑わないの」

 それから暫くの後、お友達の家に招かれた娘を迎えに行った帰路、娘が突然、「ママ、どうして笑わないの」と切り出しました。友達のママはいっつも笑っていて、すごく楽しく、可愛い、と言うのでした。私は電気ショックにかかったような気分に襲われました。「あ、そうだ、確かに私には笑いがない」。わずか七年しか生きてない子供が、私のいつもの暗い表情を不思議に、悲しく感じとっていたのだ。そう思うと、すごく子供が不憫でいとおしく思え、無理をしてでも笑わなきゃ、にこやかにしていなければ、と自分に言い聞かせました。そして、鏡の前で笑顔のつくり方を練習したりするほどの新たな自分を意識することができるようになりました。

――娘さんのひと言は大きかったようですね。

 ほんとうに心に響きました。混沌の世界から私を引きずりだし、救ってくれたひと言だったと思います。いささかドラマじみて聞こえましょうが、やはり人生はドラマ、劇的なこともあるものですね。

母の手紙、そして引っ越し

――安らぎとか支えについてもう一つ。同じ病棟に入院中の同病の方々との触れ合いはありましたか。

音無美紀子さん

 娘のひと言が全てだったということでは、勿論ありません。卵焼きも、ご飯もそうですが、実はもう一つ、母の手紙があるのです。もう遠い昔のことですが、私が村井と結婚式を挙げにハワイに発つ羽田空港で、「式のあとに読んでね」と言って、手渡されたものです。それには、こんな一文がありました。「あなたが喜ぶとき、私はその何十倍も喜び、あなたが悲しんでいるとき、私はその何百倍も悲しいのですよ」。

 娘から胸を突き刺す疑問を投げかけられたとき、私はワイキキの浜辺でこれを読み、涙に咽んだことを思い出しました。そして自らに、こう言い聞かせました。「親が子供に悲しみを与えてはいけない」。

 ちょうどその頃、新居への引っ越しがありました。「自分は死ぬのだから、新しい家には住めない」と決めてかかっていたのですが、新居が完成して引っ越しが現実のものとなれば、夫は忙しく、私が動くしかありません。什器類の選定だ、荷物のまとめだなどと動いているうちに、次第に前向きの自分が戻ってくるのに気付きました。この引っ越しを加えれば、立ち直りのきっかけは四つということになりましょうね。

「頑張れ」は言わなかった夫

―― ところで、闘病を通して、夫・村井さんのサポートはどのようなものだったのですか。

 夫にも次々と公演があり、その稽古、本番と非常に忙しかったのですが、ほんとうによき理解者、協力者であってくれたと思います。「しっかりしろよ、頑張れ」などと激励されるのは病人、とりわけがん患者にとっては辛いことです。頑張ろうにも頑張ることができない状況にあるわけですから。励まされれば励まされるほど、それに応えられない自分とのギャップを痛感し、ひどい自己嫌悪に陥ってしまうのです。

 そういう点で、夫はがんが見付かってから一貫して「頑張れ」という趣旨のことは口にしませんでした。よく家族全員がひと部屋で川の字になり寝ましたが、私が不安そうに眠れないでいたりすると、夫は「この子たちが大きくなるの、楽しみだよね」などと話かけてくれました。私が苦しんでいるときは、できるだけそばにいてやろう、と思っていてくれたようです。夫のそのような姿勢に私は「美紀子は病気なんだよね。何もできなくて辛いんだよね」と、心の中で問いかけてくれているような優しさを感じていました。

次回は、「私は強くなった」についてご紹介します。

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