がんになっても -がんの治療を、その人「らしい」生活のなかで。-

アストラゼネカ

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私からのメッセージ

関原健夫さん
「六回のがん手術を乗り越えて−サラリーマン人生」

人にも仕事にもエンジン全開で臨む

―― 関原さんにとって、自分らしく生きるとはどういうことでしょうか?

 私にとって自分らしく生きるとは、“やりたいことは極力実行する、自分の考えや思いは臆することなく主張する”ことです。もちろん、最低のマナーは心得ていなければなりません。しかし、がんになれば半分は亡くなるわけですから、自分もいつ死ぬかわからない状況になります。つまり、がんを患うと、人生は有限であることを実感させられ、「それならば生きている間はやりたいことを精一杯やって、言いたいことも言っておく。」という気持ちになるのです。

限られた人生を、エンジン全開で臨まなければなりません。いつもエンジン全開となると大変ですが、結果的には人間関係も広がりますし、自分の精神的な落ち着きも得ることができ、気持ちも楽になったと思っています。

―― 闘病中も何回も海外出張をされていますし、今も第一線で働かれていますが、そのことも自分らしく生きるために決められたことですか?

 これは自然の成り行きでした。

 私はサラリーマンですから、自分のこととはいえ、自由業の人と違って自分で仕事を決められません。会社の中での自分の役目を果たすしかありませんが、それをどう果たすのかが自分らしい生き方に繋がると思っています。

 でも、そういう生き方、つまり“がんを患いながら健康人と同じように会社勤めをする”というのは必ずしも容易ではありません。病気をしているというハンディを周囲に感じさせることなく、あらゆる機会に誰とでも何でもオープンに話して信頼を得ることが大切だと思います。

人との出会いから自分の本質を生かす

―― 関原さんの大切にしている考えや行動の根本はどんなことですか。

関原健夫さん

  私は人との出会いがとても大事だと思っていますので、たくさんの人と出会い、いいところを学び、悪いところは直すことを心がけてきました。そうして何十年と過ごしていく中で、いいところも悪いところも含めて自分なりの姿を形成してきたのではないかと思います。思い起こしてみると、オープンな性格、生来のおしゃべり癖が幸いして、人との交流がプラスの面に働いてきたことがたくさんあります。

がんになってからの人生

―― がんになったことをどのように考え、受け入れられたのでしょうか?

 最初はなぜ酒もタバコもやらず、健康にも気をかけていたのに39歳でがんを患わなければならないのか、人生は何と理不尽なことかと嘆き苦しみましたが、時の経過とともに悲運として受け止められるようになりました。今では、がんの経験を一種の交通事故にあったのだと思っています。一つの不運ではありましたが、特殊な不幸とは捉えていません。

 確かに病気にかかる事は苦難と苦労を伴います。しかし、病気をしていなかったら今とは全く違った生き方、生き様になっていたと思いますので、病気によって得た様々な経験から、自分自身も相当変わったと思います。

 時間は必要だと思いますが、人間には老若男女を問わず、病気に立ち向かい乗り越えられる力があると思います。

―― 病気になったからこそ得られたことはありますか?

 たくさんあります。まず人間あきらめてはいけない。最後まで希望を持って立ち向かうことがいかに大切かということです。これは何も病に限ったことではなく、逆境のときこそ大切です。まさに人生は有限であることを強く意識させられます。人間いつ不幸が舞い込むか、いつ死ぬかわからない。従ってそれまで以上に毎日必死に生ようと心しました。「55歳になったら何をしよう。」などと考えず、今日、明日、あるいは一週間、今年はせめてここまでやろうとか、日々そのような考え方で過ごすことが多くなりました。「お前は生き急いでいるのでは」と心配する先輩もいました。

 そのことが非常に無駄のない、充実した、やりたいことを中心にやってこられた人生に繋がったと思います。もし病気をしていなかったら、なかなかこのような人生にはならなかったのではないでしょうか。

 病気をしてから二十年経ちましたが、自分なりに密度の濃い人生になっていると思います。

関原さんご自身のこれからの活動

―― 最後に、関原さんのこれからのことをお伺いします。現在取り組まれている「日本対がん協会」の理事や、厚生労働省の「地域がん拠点病院検討委員会」の委員、自治体病院の評価委員会の今後の展望をお聞かせください。

関原健夫さん

  一昨年アイルランドで開催されたUICC(国際対がん連合)という国際会議に出たり、去年は、アメリカの対がん協会とのミーティングをしたりしています。又この7月にもワシントンの会議に出席します。そのような活動をするのは、病院や先生方のおかげで助かった幸運をがんで苦しむ患者や家族に少しでも還元できればと思っているからです。それに、友人などにも多く助けてもらった恩返しでもあります。

 世のなかに少しでも役に立つことが人間としての証ですし、もう60歳になったので、少しそういうことを一生懸命やろうと思ってやっています。

 すると、外国も含めてますます人の広がりが出てきました。色んな患者さんや様々な分野の方からたくさん手紙が来るのです。それらに対して返事を書いたりしていると、驚くほど多方面に交流が深まります。

―― 対がん協会の理事としての活動から、個人的なお便りにいたるまで、今後、みなさんが関原さんに頼られることも多くなると思います。関原さんはこれからどのようにがんと関わっていこうとお考えですか。

 私はそれ程大げさに考えていないのです。できることをやっていく、という感じです。

 自分から意気込んでこれをやろう、ということではなく、誰かが私を、私の体験を必要としている時、極力役立とうとしているだけです。

 がんという病を39歳でアメリカで患い、転移・再発を繰り返しながら奇跡的に一命を得て、今もこのような取材を受ける機会をもったわけです。これもそういうことでしょう。だから、これからも人に求められる事を自分なりにしていこうと思っています。

――関原さん、ありがとうございました。

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「自分らしくがんと向き合う皆さんの姿、想い」
「患者さんからご家族への想い」「ご家族から患者さんへの想い」

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