大腸・直腸がんの体験談

悩みや不安を抱えたときにどのようにがんと向きあえばよいのか。
自分らしくがんと向きあう患者さんやご家族の体験談・メッセージなどをご紹介します。

みなさまの
体験談
患者
  • がんの治療を継続中

大腸・直腸がん 61歳 男性 

テーマにある(これから)という文字(がんになってから)が不思議な感覚で目にはいりました。これからと言えば一回だけの意味で捉えられますが、がんの進行に合わせて私には3回の(これから)があるからです。進行がんの人には同じ思いがあることと思います。

1999年10月に直腸がんと転移性肝腫瘍のオペを皮切りに、2001年8月原発の胃がんと転移性肝腫瘍のオペを行い、2002年4月両肺の転移性肺腫瘍のオペを終えるまでの間の私の生きがい生き方は、がんになってもすぐ体力的に回復させて健康なときと同じ価値観を持って営業の仕事で成果を挙げ続けることでした。多少の違和感を持ちながらも実際に実現できていました。前向きでした。治癒できることを目標にした闘病生活を信じていたのです。その根拠は大腸がんは肝や肺に転移があっても手術できる範囲のものであれば手術で完治できると言うエビデンスのある治療法があったからです。家族との団欒や楽しみや苦しみの共有についてはこれまでもこれからも自信を持って実行していました。

しかし繰り返す転移は続き、2003年4月に又肺転移が見つかりオペをしたのですが、流石にこれ以上会社に迷惑をかけられないと判断して退職を決意しました。それを追いかけるように呼吸器の医師より8月に右肺門部リンパ節転移と腹部リンパ節転移の疑いを告げられ、全身にがんが回っているので化学療法しか方法が無いことを告げられました。

2回目の(これから)はこの時期です。かなりの確率で、延命しか期待できなくなる治療生活にはいらねばならない状況を迎えたのです。精神的に疲れ、度重なる手術に肉体的にも疲労が増し以前のような活動が無理だと判断したのですが、まだ昔の生活、生きがいに未練が十分に残っていました。そこで自分の能力経験を生かせることと、何か社会に役立つ事と治療を継続できることを念頭に仕事を探した結果、これまでの経験を生かしてグループホームの立ち上げと運営に取り掛かりました。生きがいをその中に求めました。自分の体力を考えて無理の無い範囲で集中していきました。

治療は2003年11月から化学療法が始まり2004年6月まで続きました。ところが8月のPET検査で肺門部リンパ節転移は否定され肝上部のみの転移が指摘され外科手術による治療に戻ったのです。しかしいざ手術をしてみると大腸がんでは珍しい膵転移があり、横隔膜への浸潤があり、脾臓まで摘出した大手術となりダンピング症状が一層激しく、体力も一挙に落ちてしまいました。

この時期が3回目の(これから)です。最悪なことに、手術3ヵ月後に腹部リンパ節転移と肺転移が発見されました。自分の命の限りをはっきりと宣告されてからの私の人生をどう方向付けしたらよいのか悩みに悩みぬきました。動けないと解っているのに未練を断ち切れないでいる以前の会社人生を否定しない事には次が始まりませんでした。出した結論は、会社人生は自己満足の存在感の誇示でしかなかったと言うことです。これから私が目指さねばならないキーワードは私が生きている意味を具現化できる存在意義であることに行き着き、何をすればそれが得られるかを探しました。思うように行動ができなくなった今、が私の闘病で得たことを同じ悩みを抱えた仲間に伝えていく事と、がん患者と医療現場の橋渡しの仕組みづくりを作ることで存在する意義をみいだせればと考えました。最後の手術後に仕組みづくりの活動の一歩を踏み出した途端に再発をつげられて、その日から今日まで化学療法に明け暮れています。本当に辛い苦しい療法ですが(これから)の目標を目指して充実した日を今はすごしています。

勇気づけられた言葉、場面

妻と話し会った中での「がんに罹ったのだから、会社を辞めても誰も落伍者と思わないでしょ。」のフレーズです。他人の目を意識したそれまでの会社生活を思いしり退職に踏ん切りがつきました。

-退職を決意する過程で

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