乳がんの体験談

悩みや不安を抱えたときにどのようにがんと向きあえばよいのか。
自分らしくがんと向きあう患者さんやご家族の体験談・メッセージなどをご紹介します。

みなさまの
体験談
患者
  • がんの治療を継続中

乳がん 58歳 女性 会社員

私には妹(主人の弟のお嫁さん)がいた。とても明るく活発で、びっくりするほど友達が多かった。そんな妹がうらやましく「私も性格、変わりたいな」と言うと「お姉さんは全然変わる必要ありませんよ。お姉さんは、そのままが一番いいんです」と言ってくれた。家族と一緒に帰ってくると、一緒に台所に立ちながらあれやこれやと話をし、「やっぱり兄弟って同じですね!」などと笑い転げることも多かった。

 その妹が乳がんになった。早期発見で、直径1センチあるかないかの時に自分でさわって見て分ったのだと言う。どう慰めていいのかと思いながら電話した私に「もう、ふっきれました。小さいうちだから手術すれば治ります。きちんと治療すればすぐ元気になりますから」と、明るい声が返ってきた。手術するまでに少し大きくなって(2センチぐらい)リンパ節に転移する恐れも出てきたので、リンパ節も取ってしまい、放射線治療と抗がん剤治療も必要だった。弟夫婦は転勤族で、その時期離れて暮らしていたために詳しい状況は分らないが、経過は順調なようだった。夏休み、久しぶりに弟と3人の子供たちと共に帰ってきた妹は、髪も長く伸び、良く動き良くしゃべり、以前と少しも変わらなかった。子供たちも安心しきってケロリとしている。その様子を見て私はホッと胸をなでおろした。

 そのあと私が乳がんになった。早期発見で小さかったがセンチネルリンパ節生検で転移が確認され、脇のリンパ節切除。私が手術で入院していたころ、妹のがんは転移して徐々に深刻な事態を迎えていた。

「お姉さん、私お姉さんがうらやましい。お姉さんはきっとホルモン剤治療のできる体質でしょう。私にはホルモンレセプターがないからホルモン剤治療ができなかったの。転移したら強い抗がん剤に頼るしかないの。胸が悪くて食べたいものも食べれない。したいことも何もできない……」 初めて聞く妹の弱音だった。

 私の放射線治療は、5月の連休明けから始まり、6月の半ば過ぎまで続いた。「検査により、がん細胞が残っている可能性があるため、1週間のピンポイント照射を追加します」とのことで、6週間になったのだ。
 妹は、入院・退院を繰り返していた。弟からの電話では「毎日のように友達が見舞いに来ては、病室からにぎやかな話し声や笑い声が聞こえている」とのことだった。  平成19年(7月22日)、午前中弟から「様子が変だ」と電話があった。その日の午後、妹は亡くなった。こんなに急に亡くなるとは、誰も予想していなかった。  弟夫婦は、もう永くはないと言うことを以前から聞かされていたようだった。 「2人していく晩も今後の治療について話し合った。少しでも家で子供たちのそばにいたいと言うことで、家にベッドも購入し、その日退院させて家へ連れて帰る予定だった」

 その時の私には、泣く事さえもできなかった。
「あんなに元気だったのに。あなたが元気だったから、私もすぐに元気になれると思い、そんなに心配しなかったのに」 このとき初めて自分のがんを、私は本気で怖いと思ったのだった。
「あなたと同じ乳がんで、あなたと同じ経過をたどって今治療をしているけれど、私はあなたと同じではない。あなたと同じ結果には私は決してなりはしない」
 そのとき私は抗がん剤治療を始めたばかりだった。妹の葬儀には遠方でもあり、主人と主人の母が出た。私は自宅で手を合わせ、妹の面影をしのんでいた。あれからもう、2年が過ぎた。

勇気づけられた言葉、場面

妹の葬儀が済んで、弟が納骨に帰ってきた時

「お姉ちゃんは元気になって長生きしてね。」と気遣い、健康食品を持ってきてくれたこと。

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