ねむ様
60代後半
同居家族:
妻
治療歴
肝切除 / 焼灼
TACE
薬物療法
その他治療
同居家族:
妻
発症時年齢:
60代後半
現在の状態:
経過観察中
既往歴 :
B型肝炎
※患者さんの名前は仮名です。
※本サイトに掲載している体験談は個々の患者さんのご経験をインタビューした
内容に基づき作成しています。病状や経過、治療への向き合い方などはお一人おひとり異なります。
内容に基づき作成しています。病状や経過、治療への向き合い方などはお一人おひとり異なります。
ねむ様の体験談
発症 / 診断
ある日突然の腹痛から「肝細胞がんステージⅣ」と診断
大学生の時に血液検査で「オーストラリア抗原」陽性がわかりました。これは、のちのB型肝炎ウイルスです。オーストラリア抗原キャリアというだけで症状はなく、普通の生活をしていました。
それから18年後、B型肝炎を発症しましたが、インターフェロン治療で抗原の陰性化を達成しました。その後は定期的な経過観察が必要だと言われ、数年は検査を続けていましたが、抗原は陰性のままでしたし、職場の定期健診での肝臓の検査数値も特に悪くなかったため、かかっていた病院の医師が開業したタイミングで経過観察をやめてしまいました。その後は「治った」との認識で生活していました。
ところが50代のある時突然、それまでに感じたことのない腹痛が出現したため、翌日受診したところ、「肝細胞がんステージⅣ」と診断されたのです。あまりにも突然で、当時まだ大学生だった子どもたちのこと、仕事のことなど、考えることが多すぎてまとまらず…、あの状態を頭が真っ白な状態というのでしょうね。
それから18年後、B型肝炎を発症しましたが、インターフェロン治療で抗原の陰性化を達成しました。その後は定期的な経過観察が必要だと言われ、数年は検査を続けていましたが、抗原は陰性のままでしたし、職場の定期健診での肝臓の検査数値も特に悪くなかったため、かかっていた病院の医師が開業したタイミングで経過観察をやめてしまいました。その後は「治った」との認識で生活していました。
ところが50代のある時突然、それまでに感じたことのない腹痛が出現したため、翌日受診したところ、「肝細胞がんステージⅣ」と診断されたのです。あまりにも突然で、当時まだ大学生だった子どもたちのこと、仕事のことなど、考えることが多すぎてまとまらず…、あの状態を頭が真っ白な状態というのでしょうね。
副作用への対処については、ご自身で判断せず、必ず医師や薬剤師・看護師等にご相談ください。
肝切除 / 焼灼
TACE
TACEを受けてから手術、そしてHAIC
診断を受けた病院では治療が難しかったため、別の病院の紹介を受け転院しました。担当の外科医から、「手術の前に肝動脈化学塞栓療法(TACE)しましょう」と言われ、診断後まもなくTACEのため1週間ほど入院しました。TACEでは私の場合は痛みを伴いました。大きながんの断末魔の悲鳴が痛みとして現れたのかもしれません。痛みは長くは続きませんでした。
TACEを実施し退院後は職場に復帰し、2か月後に12時間かけて切除手術を行いました。私は麻酔で寝ているだけで負担はありませんでしたが、付き添っていた妻は翌日めまいを起こし倒れました。長時間の付き添いと緊張で疲れていたのでしょう。
手術の10日後、体内にリザーバーを埋め込み、肝動注化学療法(HAIC)を開始しました。1週間に1度、抗がん剤の入ったポンプの交換に通院しながら、腰にポンプをぶら下げて職場にも復帰しましたが、特に仕事に支障はなかったです。
TACEを実施し退院後は職場に復帰し、2か月後に12時間かけて切除手術を行いました。私は麻酔で寝ているだけで負担はありませんでしたが、付き添っていた妻は翌日めまいを起こし倒れました。長時間の付き添いと緊張で疲れていたのでしょう。
手術の10日後、体内にリザーバーを埋め込み、肝動注化学療法(HAIC)を開始しました。1週間に1度、抗がん剤の入ったポンプの交換に通院しながら、腰にポンプをぶら下げて職場にも復帰しましたが、特に仕事に支障はなかったです。
看護師からの一言
看護師 橋本様
ご家族は時として、日常生活と看病の狭間で「自分がしっかりしなくては」、との思いから、患者さん以上に緊張とストレスを感じておられることがあります。医療者にとっては、ご家族もケアの対象ですから、大変なとき、お辛いときはいつでも頼りにしていただきたいと思います。看護師やがん相談支援センターなどでもお話を伺うことができますし、社会的、精神的な支援のお役に立てることもあります。どうかご遠慮なく周囲に助けを求めていただき、休めるときは休んでくださいね。私たちは、ご家族の「患者さんを支えたい」という思いを大切にしながら、サポートしたいと思っています。
妻が一緒に落ち込まず「心配しなくて大丈夫」と笑ってくれた
がんの診断を受けたとき妻が何を考えていたのかはわかりません。今聞いてみると、「暗くはならないでおこう。なんとかなるということを表に出そう。」と思っていたとのことです。内心は複雑だったと思いますが、一緒に落ち込まず「心配しなくて大丈夫」と笑ってくれたのは、とても有り難かったですね。
がんになったことで、仕事を辞めるつもりは全くなかったです。入院・手術することもあり、引継ぎなどのため、上司・同僚・部下には伝える必要がありました。みんな心配してくれて、私が不在の間どのような体制にするかなど調整してくれました。退院後もまだ調子が戻っていないときは気を遣って配慮してくれつつ、病人扱いせず普通に接してくれるのが本当に有り難いと思いました。
がんになったことで、仕事を辞めるつもりは全くなかったです。入院・手術することもあり、引継ぎなどのため、上司・同僚・部下には伝える必要がありました。みんな心配してくれて、私が不在の間どのような体制にするかなど調整してくれました。退院後もまだ調子が戻っていないときは気を遣って配慮してくれつつ、病人扱いせず普通に接してくれるのが本当に有り難いと思いました。
最も情報収集したのは再発がわかったとき
診断を受けたばかりの頃は頭が真っ白で情報収集どころではありませんでしたが、手術の後くらいから、さまざまな情報を集めはじめました。一番活用したのはインターネットです。検索すると山のような情報がでてきますよね。できるだけ公的機関など、責任をもって情報発信しているサイトを見るように努めるようにしましたが、当時、肝細胞がんの治療法は限られており、正直、民間療法のような情報も気にはなりました。情報収集するなかで患者会の存在を知り、入会しました。患者会では年に何度か講演会を開催しており、それらをまとめた講演録や新しい治療法についての情報提供をしてくれる会報を送ってもらっていました。一番情報収集したのは、再発がわかったときです。再発に対する治療の選択肢が殆どないことを知り、複数の病院でセカンドオピニオンも受けました。
先生からの一言
医師 奥坂先生
最近の患者さんはインターネットを使って上手に情報収集されていますよね。ただし、インターネット上の情報は玉石混交ですから、公的機関が発信しているものを中心に情報収集していただくことをお勧めします。
薬物療法
わかっていても、やはり再発はショックだった
TACE、手術、HAICをしましたが、手術から半年も経たずに肝臓内に再発と他部位への転移がわかりました。手術後、再発する可能性が高いことは医師からも聞いていましたが、やはり再発はショックでした。抗がん剤治療を試みましたが効果はなく大学病院に転院しました。大学病院では、別の抗がん剤治療を開始しました。
副作用への対処については、ご自身で判断せず、必ず医師や薬剤師・看護師等にご相談ください。
薬物療法
副作用と向き合いながらの抗がん剤治療
抗がん剤治療は効果もありましたが、副作用もありました。仕事への直接的な影響はありませんでしたが、がんが消えた状態で、副作用と向き合いながらどこまで内服を続けるべきか悩みました。主治医とともに手探りで試行錯誤しながら、薬が効いているというモチベーションだけで内服を続けました。今でこそ、副作用対策として医師や看護師らと連携したチーム医療が当たり前になっているようですが、当時はまだ定型化されていなかったのです。リンパ節再発がわかり、主治医から提案された粒子線治療を受けたことを機に抗がん剤治療を終えました。
先生からの一言
医師 奥坂先生
肝臓がんの薬物療法は、腫瘍が縮小する、大きくならない、症状が抑えられている、などのメリットがあるうちは継続するというのが原則ですが、多くの方が治療継続と副作用の間で悩まれており、私たちも患者さんと一緒に悩んでいます。治療を続けたいお気持ちから副作用を我慢して頑張りすぎてしまうと、治療効果が十分に得られず、かえって遠回りになってしまうこともあります。とくに内服の抗がん剤を始めたばかりの頃、飲むべきかどうか悩むような状況があれば、医療者への相談が必要な場合が多いと思いますので、ぜひ病院にお電話ください。初めてお電話するときは勇気がいるかもしれませんが、気軽にお電話できるホットラインを設置している病院もありますので、治療開始時に説明書やパンフレットなどをもらっているようであれば、見直してみると良いでしょう。
同じ悩みを抱えている仲間とのつながり
会報を送ってもらうだけの患者会でしたが、退職を機に集会にも参加するようになりました。先生をお招きして講演会を開催したり、自分の薬物療法の治療体験談も皆さんの前でお話しましたよ。やはり、同じ病気で同様な悩みを抱えている仲間と話ができるのはいいですね。C型肝炎は治癒するようになったけれどB型はまだなのかとか、新薬はいつ使えるようになるのかなど、最新の治療の話題で盛り上がることもあります。患者会の仲間とは病気の話ばかりしているわけでもなく、よく集まって医療費の助成の働きかけに向けた打ち合わせを重ねたり、近況報告をしています。
「次に何かやることがある」ということが気持ちを楽にしてくれた
医師に転院先の病院候補を複数挙げていただき、治験にも積極的に取り組んでいる大学病院を選び転院しました。そこでまず抗がん剤治療を2種ほど実施したのですが、効果はほぼありませんでした。ただ転院先の大学病院の主治医は、可能性のあることは積極的に提案してくれたので、「次に何かやることがある」ということが気持ちをとても楽にしてくれました。その後も自院ではできない粒子線治療についても情報提供いただくなど、どんな状況でも諦めずに選択肢を提供しようという姿勢は、本当に心強く頼もしかったです。
読者へのメッセージ
現在は治療をせず、3ヶ月に1度のペースで経過観察を続けています。検査のたびに再発していないかドキドキしています。一時は死を覚悟したこともありましたが、どこかに道はあります。患者さんやご家族の皆さんには、「どうか諦めないでください」とお伝えしたいです。