がんになっても -がんの治療を、その人「らしい」生活のなかで。-

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乳がん・前立腺がん・肺がんを中心に患者さん・ご家族の体験談、高額療養費制度などの情報を紹介

私からのメッセージ

上野創さん
「二度の再発、二度の無菌室を乗り越えて 」

副作用には負けたくない

―― 長いあいだの闘病を通して心の安らぎとか、病気と闘おうという勇気、心の支えとなったものは何だったのでしょうか。

上野創さん

 家族の支えは非常に大きかったです。告知と同時に入籍すると言ってくれた妻がいるわけですし、そのあとも両親や妹、妻やその家族、友達もずっと自分を支えてくれているわけです。また元気になった姿をみんなに見せることがいちばんの恩返しだと思うと、何としても生きるぞという気持ちが沸き上がり、奮い立ちました。

 もう一つは新聞記者の仕事に戻りたかった。報道の第一線にもう一度戻って、闘病体験をもって、あるいはバックにして記事を書く。新聞記者には元気で優秀な人が多いが、読んでくれる人は必ずしもみんな元気なわけでも恵まれているわけでもないので、私のような体験をした者が、報道の現場の片隅で、何を書くか、書くべきか、紙面をどうつくるか、つくるべきかを改めて考え、ささやかでも貢献したいという気持ちが強かったです。

 もちろん副作用に負けたくないという気持ちも強いものでした。がんとの闘いというのは多くは病気の症状との闘いというより、副作用との闘いです。副作用にはいろいろな種類があります。私の場合、先ほどお話したように、吐き気や倦怠感、発熱、骨髄抑制の末の白血球の低下ということでした。ほかにもしびれたり、腎臓、肝機能が悪くなったり。それはがんの症状ではなく、それを治すための副作用です。さらに、それのもたらす不安感と闘っていくというのが、がん闘病の現実の姿だと考えます。がんと闘っているのか、味方であるはずの薬の副作用と闘っているのかわからないという側面があるのです。今日では大きく改善されていると思いますが、10年前の私のときは薬の量も多く、副作用で、苦しみました。強い思いがあったことは強調したいと思います。

妻に普通の結婚生活を贈りたい

――そういう精神的な力というか、その源泉となったのは、本に書いておられますけど、奥様の笑顔の定期便。それがいちばん大きかったのでしょうね。

 そうですね、なんでそんな副作用まで引き受けて、なお治りたいのか、こんな思いまでして元気になりたいのかということを突き詰めていくと、退院して日常生活を取り戻したい、妻と一緒に過ごしたいという願いでした。結婚してから、私は病院でずっと治療、妻は家と職場、病院を行き来という状況に置かれ、とても普通の日常ではありません。ごく平凡な結婚生活をプレゼントしたいし、それを一緒に味わいたい、という気持ちが強かったです。

  26歳でがんになって入院して、転移が進んでいて、半年後どうなるかわからないという人はあんまりいないでしょう。周りはみんな仕事バリバリの中堅の手前ぐらいにいて、ひととおりの仕事に慣れて、力を発揮し始めるころでした。プライベートの面でも早い人は結婚し、子供が生まれたり、留学してスキルアップしたりしながら、人生を切り開いていくときなのですが、そういうときに自分一人だけこういう不遇をかこっているという印象が、ふっと浮かんでくる。昼間病室から何げなしに外に目をやり、夜の街の灯を眺める。外泊時のタクシーからクリスマス間近な賑わう街を、楽しむカップルを目にする。そうした時ほど疎外感や孤独感が募るものです。それが半ば自己憐憫になるのもいやだったし、自分だけどうして、という気持ちに埋没していくのもいやだったので、なるべく、考えないようにはしていました。

胸に響いた同病経験者からのひと言ひと言

――安らぎとか支えについてもう一つ。同じ病棟に入院中の同病の方々との触れ合いはありましたか。

 最初の入院のときは同じ病気の人はいませんでした。睾丸腫瘍という病気は十万人に一人か二人、しかも、40歳代以上の人はほとんど罹らないとされる病気ですから、同じ病気の人にそうそう行き当たらないのです。でも、ある時、妻が、同じ病気で、再発も経験して、なお職場復帰している人にコンタクトをとってくれて、メールをいただきました。これは大変な支えで、書いてあるひと言、ひと言が胸に響いてきました。全く知らない人でしたが、同じ経験をしている人の言葉はこんなに強いものかと、驚きましたね。

医療には不確定なこと多い

――医師と患者との関係について何か考えたことはありますか。

 告知を受けた主治医と、化学療法を担当してくれた主治医と、超大量化学療法を受けたときの血液関係の専門の先生の三人に主としてお世話になりました。私の場合は、間違いなく医師には恵まれていたと思います。皆さん、ほんとに患者本位でやってくださっているのがよくわかりましたし、暴言を吐いたり、投げやりだったりしたことは一度もありませんでした。むしろていねいな説明と、いつでも何かあったら聞いてください、気になることがあったら言ってくださいという真摯な姿勢と、自分たちは全力を尽くすので、あなたも頑張ってくださいという、力強い言葉をもらいました。一方で、なかなか患者は医師にものを言えないというか、質問したくともちょっと考えてしまう。「こう思うんですけれども」と自分の気持ちを伝えるのも、おずおずという調子になる。要するに、忙しい医師を煩わせてはいけないなと思ってしまったり、どこか卑屈になったり、気をつかいすぎたりして、上手なコミュニケーションは本当に難しいなと実感しました。

―― 関連することでもう一つ、ご自分が体験なさった医療の現実につき考えたことはありませんか。

 がんになって初めてわかったことが色々ありました。医師との関係でいえば、医師にとっては病人を前にするのが毎日の業務なわけで、何人もの患者を診て、治療して、うまくいく人もいれば亡くなる人もいるというのが、医師の日常ですね。他方、患者にとっては、がんになって入院するというのは大変な非日常なわけです。そこからくるギャップは避けられないのだなと痛感しました。だから医師がいいとか悪いとかの問題ではない。でも、その前提を認識したうえで、双方が関係を考える必要はあります。

 同時に、医療は非常に不確定なことが多くて、金づちで卵を叩けば割れるという百パーセント確実というようなものはない。だから治療に関しても、副作用の出現にしても、それへの対処にしても、わりと不確定のなかで、でもそれぞれが最善だという方法を探して、日々やっているのでしょう。病院のベッドの中で到達した私の一つの結論は、がんとの闘いは結局、病気そのものを相手にする前段で、副作用や精神の管理という問題に直面するということです。

――医療は不確定なことが多いというお話に関連してですが、情報をあまりもたない患者さんたちは、そういうことになかなか気づいていないというか、医師の言うことを信じるとか、本などに書いてあることを信じるケースが多いと思います。そういうなかで情報を見極めるというか、どういう情報が患者として大切なのか、どんなことがポイントなのか。また例えば自分はこう生きたいから、こういう生活のためにはどういう医療を求めるべきなのか、ということを知り、理解する必要があると思うのです。この点についてのアドバイスをいただけましたら・・・。

  10年前はネット社会は未発展でした。携帯メールすらなかったですね。この10年間でがんの闘病の環境は激変していると思います。もちろん情報が増えて素晴らしい点はたくさんあります。いま国立がんセンターのホームページを見れば、標準的治療がわかりますし、もっと発信しようとがん対策情報センターも動き出しています。医師の先をいくような海外の最先端治療の情報だって、英文でとることも可能な時代になっています。しかし、残念ながら、ネットの海は玉石混淆なんですね。あまりにも情報が多すぎて戸惑い、何を信じていいかわからない、というのが現実だと思います。

 結局、見極めるという意識を明確に持つことが一つのポイントですね。専門家、関係者、体験者らの複数の意見をよく聞くことしかない。それに尽きるのだと思います。どこか一ヵ所へのアプローチで完全な解決法が見つかるというようなことは、おそらくありません。まずは、自分の信頼している主治医に、それでもなお迷うようであればセカンド・オピニオンをうけたり、患者会、体験者にもう一度あたってクロスチェックをしていくということでしょう。おそらくどんなに情報をとっても、最後は迷うと思います。選択肢は一つではなくなっていく。同時に、その後、いったい何が起きるかという可能性を書き出すと、とてもたくさんの恐ろしい可能性も出てくるでしょう。迷うのはむしろあたり前です。患者はその不確実性の中で、最後は自分なりに判断し、引き受ける覚悟を要求されている、そういう時代なんです。

次回は、「がんを経験して得たもの」をご紹介します。

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