すい臓がんの体験談
- みなさまの
体験談 - 家族
- がんの治療を終了
すい臓がん 49歳 女性
平成17年春 進行性膵がんの告知を受けました。
当時46歳、約3年間がんばってこの春49歳で逝った主人のことです。
週1回抗がん剤の投与と毎日所要30分足らずの放射線療法を6週間受け、退院後は2週1休のペースで抗がん剤の投与を続けてきました。その結果、約1年半は腫瘍マーカーも下がり、抗がん剤による副作用もほとんどなく、まるでうそのような毎日で、誤診のうわさまで広がったほどです。
しかし 2年目の春を迎える頃から体の変化が始まり体重が減り始めました。検査の結果胆管の閉塞ぎみがわかりステントを入れました。そのときに抗がん剤の併用も始まり、一時は薬が効いて体調も安定していましたが、一年が過ぎ、今年の春あたりに食欲はあるものの、十二指腸もほとんど閉塞してきていて再度十二指腸にもステントを入れました。それで経口の抗がん剤は使用できなくなり、別の投与中の抗がん剤の投与量も半分に減りました。本来ならもう何もしない…、できない…と主治医は言いたかったのだと思います。緩和ケアの進めもありましたが、本人は決して自分がこのままダメになってしまうなどとは毛頭思っておらず、日々毎日仕事をしていることが、生活を変えないことが、主人を生かしている力であることを主治医も理解していてくださり、あまり注意事項も言われないまま過ごしておりました。
この3年間、最初の入院以来一度も仕事も休まず、寝込むこともなく、亡くなる3日前も旅行へ出かけて大学時代の友人と再会し、楽しい日を過ごしてきたのですが、亡くなる前日の朝、腹痛を訴えたので緊急に病院へ入ったところ、炎症反応が大きいので、抗生剤を投与して様子を見ることになりました。本人は見た目はとても元気でしたが、結果的にどこかで出血が始まっていたようです。
夜中にたった一度の大きな吐血…。本当に一瞬の出来事で、今朝まで元気に仕事をしていたのに…と驚く回りに対して「してやったり…」とでも言うように、最後はにやっと笑い、「おう」と一言。大丈夫といって眠っていきました。
本人にとってはその瞬間まで現役で、幸い腹水もほとんどたまっておらず、むくみもなく「元気ながん患者」と自負して生きてこれたことは、見送った今、本人は幸せだったと感じています。
残されたものとしては、もう少し生きて仕事をさせてやりたかった。
あっという間のできごとで、絵に描いたようなお別れができなかったことが心残りでしかたありませんが、さして苦しい思いもせず、最後まで現役で過ごさせてやれたことが残された今の私たちのささえでもあります。
勇気づけられた言葉、場面
見送りには沢山の方々が出向いてくださったこと。 先輩方には可愛がられ、後輩、部下たちには大変慕われていたことを実感しました。
仕事上、係ってきた多くの方々から「伝説の人」と言っていただけるだけの主人の力を感じ、誇りに思っています。そんな親の背中を見て、感じながら子供たちが新たな道に向ってがんばろうとしていることを私は感じていられる。そんな夫を持てたことが幸せです。
先日主人の名前のついた記念樹「ソメイヨシノ」がある団体の名前で植樹をしていただきました。