がんになっても -がんの治療を、その人「らしい」生活のなかで。-

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乳がん・前立腺がん・肺がんを中心に患者さん・ご家族の体験談、高額療養費制度などの情報を紹介

私からのメッセージ

坂下千瑞子さん
「がんを体験した医師の私に今できること」

生き方の変更を迫るがんという疾患

―― 再発後に、どのような変化がありましたか。

 痛みで起き上がれなくなり天井を眺めているときなどに、「自分はなんのために生きているのだろう」「どんな役割があって生まれてきたのだろう」といった疑問が繰り返し湧いてきました。このような病気になって、とくに生死の境に立たされるような人であれば、皆さんがそうなのではないかと思います。

 命に限りがあると気づくと、次は「今、自分がやるべきことは何なのか」「納得できる人生を生きるためにはどうすればいいのか」を考える。でもその答えは簡単ではなく、これまで作り上げてきた自分像とは全く変わり果てた、色々な事が出来なくなった自分を受け入れ、今の自分の存在意義を再びつくりあげていかなければなりませんでした。その中で、これまで知りあった人々や、過去に経験したことや、物の考え方が自分の財産だと気づきました。私が経験してきた血液がんの診療や分子生物学の研究に加え、がん患者の置かれている現状や想いが解ること、これが私の特徴なのだと思いました。病気になると多くの方は生き方の変更を強いられると思います。その部分では、がんもその他の生命をおびやかす疾患も変わりはない。でも生き方の変更の程度が、がんのほうが大きいのではないかと思います。その部分はほかの人には意外と理解されていないように感じます。

家族にできること、できないこと

―― そんな患者さんを支える家族の役割は重要ですね。

  アメリカから引き揚げてきた主人を友だちが見て「お前、ずいぶん痩せたな、大丈夫か?」と言ったそうなんです。その後、主人が腹部超音波検査や内視鏡検査で自分の身体をチェックしたと聞き、あらためてまじまじと主人の顔を見ると、げっそりやせている。私のことを心配してまともにご飯が食べられていなかったんですね。私は自分のことに精一杯で、そんなことさえ見えていなかった。私が元気になるとすぐに元に戻ってしまいましたけどね(笑)。

坂下千瑞子さん

 母は母で、幼い子供を抱え病気になった私を見て、「代わってあげたい」と言いました。即座に私は、「やめてよ。私なら若くて体力があるから強い治療にも立ち向かっていける。私だったらこの病気と闘える。だからお母さんじゃなくて、私でよかったんだよ!」と言いました。

 でも「親って有り難いな」と心から思いました。そんな家族を心配させてはいけないな、家族が元気になるためにも、早く私が元気にならなくちゃと思いました。家族は側にいてくれます。どんなときも。そのことが患者にとって一番の支えになるのだと思います。

―― 娘さんの存在にもずいぶん支えられたそうですね。

 私はがんになって、社会的には研究者としての役割ができなくなった。母として、妻としての役割も制限つきになった。そうやってどんどん役割が減ってくる、そして自分の存在価値が解らなくなってくる。そういうときに「ママがいい〜!」と甘えてくる娘に救われました。

「あ、この子は母として何もできなくなっている私でさえも必要としてくれるんだ」と生きていく勇気をもらいました。家族は、たとえ寝たきりになっても私の存在自体を必要としてくれる、それが何より大きな励みとなりました。

―― 患者さんを支える家族にもまた支えが必要なのではないでしょうか。

 その通りです。家族もみんな大変な思いをしていますが、それがわかっているからこそ、患者さんは心配をかけまいと家族に言えないたくさんの想いを抱えています。

 でも医療者は、患者さんを精神的に支える一番大変な役割を、「ご家族で支えてあげてくださいね」と委ねることが多いと思います。家族だって患者さん同様に、ときには患者さん以上に傷ついています。家族も誰かが支えてあげなきゃいけないことが多いということに改めて気がつきました。

患者同士で支えあうことが励みになる

―― 患者さん同士が互いに支えあうことで、できることはありますか。

 家族の支えはとても重要なのですが、同じ病気や治療のつらさを経験している患者同士だからこそわかりあえることがたくさんあります。もちろん医師や医療スタッフ、家族の支援も必要なのですが、どうしても手が届かない部分があるんですね。医療者や家族にも言えないこと、わかってもらえないことがあって、患者さんは次第に孤立していくんだと思います。患者さんは想像以上に医療者に気を使い、家族を悲しませないように気を張って、一人で悩みや不安を抱え込んで頑張っています。でも患者同士だったら、その想いに共感できるし、なんでも言えるし、たとえ黙っていても芯の部分でわかりあえる、今こうやって互いに生きている、それだけでも励みになるし、孤立感が癒されるんです。医師として働いているときには、患者会の存在にあまり関心を持っていなかったのですが、この経験から言うと、医療者が患者さんに患者会などの存在を教えてあげるだけでも、患者さんの助けになるのではないかと思います。

―― リレー・フォー・ライフとの出会いも、その思いを強くするきっかけだったのでしょうか。

 1回目の再発の治療で病院のベッドに寝ているとき、テレビを見て目を見張りました。NHKの朝の番組の中で、アメリカ発のがん患者支援チャリティーイベント「リレー・フォー・ライフ」がつくば市で初めて開催されたことを伝えていたんです。参加者はがん患者であったり、家族であったり、医療スタッフであったり、一般の人であったりするのですが、チームを組んで24時間、陸上トラックをリレー形式で歩くんです。参加費はがん征圧のための寄付金になるというイベントなんですが、テレビの中で、がん患者さんたちが笑顔でとても嬉しそうに手を振りながらグラウンドを歩いているんです。その手には「癌でもいいじゃん」と大きな文字で書かれた黄色い横断幕を持っていて、画面に釘付けになりました。

わかりあえる心地よさ

―― そして翌年、第2回芦屋大会に実行委員として参加されたのですね。

 つくば市の映像を見て、絶対にこのイベントに参加したいと考えた私は、すぐにインターネットを検索して、翌2007年に兵庫県芦屋市で開催されるリレー・フォー・ライフの実行委員になり、ミーティングに何度か出席し、家族みんなで一緒に大会当日にも参加しました。

 実行委員は30名くらいだったんですが、雰囲気がとてもよくて、想いをわかってくれて支えてくれる人が集まっていることに、とても癒されました。本番では仲間や家族と歩いていて、生きている喜びを体感する事が出来ました。そのとき私は2回目の再発を抱えて先が見えなくなっていたのですけれど、この大会に出ることが支えとなり、生きる勇気をもらいました。がん患者さんが生きている喜びを体で感じ、これだけ多くの仲間や支援者に支えられていることに勇気と希望を貰えるイベントであるリレー・フォー・ライフは想像以上にパワーのある感動の舞台でした。「私の故郷である大分の皆にも喜んでもらいたい」、そう思って実行委員長として大分大会を企画し、2008年10月、開催にこぎつけることができました。

次回は、「大分で患者支援チャリティーイベントの「リレーフォーライフ」を開催する」についてご紹介します。

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