がんになっても -がんの治療を、その人「らしい」生活のなかで。-

アストラゼネカ

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乳がん・前立腺がん・肺がんを中心に患者さん・ご家族の体験談、高額療養費制度などの情報を紹介

私からのメッセージ

上野創さん
「二度の再発、二度の無菌室を乗り越えて 」

風呂で異常に気づく

――病気のことに入りますが、異常に気づかれたきっかけは。

 睾丸腫瘍という私のがんと、乳がんは、自分で触ってわかる病気と言われていますが、実際、風呂でなんの気なしに触って異常に気づきました。こぶのようなものがだんだん大きくなっていくのが気がかりでしたが、忙しさにかまけ、また、場所的に微妙で恥ずかしさもあり、どうしていいのかわからないまま放っておいたんです。

――どのぐらい放っておかれたんですか。

 4カ月ぐらいだったと思います。

――病院に行くべきですが、部位が部位ですし、行きにくいですね。

 そうですね、医者に限らず、他人には相談できませんでした。

――それを押して病院に行ったのは、相当おかしいな、ということだったのですか。

 具体的にいうと、会社の定期健康診断があって、最後に問診となりました。女性医師に「何か気になることはありますか」と聞かれ、赤面しながら思いきって話したら、「泌尿器科へ」ということだったので、近くの開業医を訪ねました。そしたら、大きな病院に紹介状を書くからといわれまして、市立大医学部の附属病院に行くことになったのです。市大病院で睾丸腫瘍の告知を受けた日に「至急、肺のレントゲン精密検査を受けよ」という会社の定期健康診断の結果も来て、事態がいっぺんに動き出したわけです。

ワンクッション置く告知に医師の配慮知る

――睾丸腫瘍の告知と診断内容の説明はどういうものだったのでしょう。

 主治医は最初に「がんです」と言ったのではなくて、「腫瘍ができてます、悪性の可能性が高い」と言いました。私が「それは、がんということでしょうか」と聞くと、「そうです」との答え。それが告知になりました。どういう告知がいちばんいいかというのは、個人差もあり、永遠のテーマだと思いますが、私にとっては言葉の運びにワンクッションあったのはありがたかった。あとになって思い起こすと、ということですが。

――それは腫瘍で、悪性か良性かまだよくわからないが、という言い方のことをおっしゃっているのですか。

 そうではなくて、いきなり「あなたはがんです」と言われなかったこと。こちらのほうから聞き、それに対して肯定の答えがあったという形のクッションの置きかたですね。今の時代でも、「がん」という言葉は圧倒的で、凶暴ですから。

――告知を受けて、まずあなたが最初にしたこと、考えたことはどういうことでしたか。

当然のことながら、告知は素直に受け入れられませんでした。あの段階で自分が、がんを発病するなどとは夢にも思っていませんでしたから。それこそちょっと診察室に入って出てきたらがん患者になっていた。自分は何も変わってないのに病名がくっついて、がん患者になっている。じゃあ何か自分のなかで大きな変化があったかと言えば、何もないわけです。ですから医師から言われたことを受け止めようとはしているのですが、実感を伴わない。本当に自分はがん患者なの?と。それが告知を受けた直後の状況でした。

――考えてみればまだ非常に若かったですしね

 26歳でした。

――夢にも思わない、というのが当り前です。

 ほんとうに夢にも、です。カンも悪いのでしょうけれど。
 医師の診断結果の説明を聞きながら考えたことが他にもあります。医師のひと言ひと言は客観的事実を告げているに過ぎないのに、自分の運命がシビアに決められていくように感じ、うろたえました。この先、良くない結果が次々と告げられていくのではないか、という不安も高まり、逃げ出したい気持ちでした。入院、手術となれば、仕事、買い物、食事、運動と全ての日常の行動が制限される。これまでの自分は、健康、時間、季節などということについて雑に扱ってきた。行動の自由を意識することも、健康の価値を考えることもなく過ごしてきた。無知ゆえの「浪費」、ということではないか。自問自答は限りなく続いたように思います。

――結局、入院なさって、まず睾丸の方の手術を受けられるわけですが、手術は比較的、簡単だったそうですね。

 そうですね。拍子抜けするほど。しかし悪性度は高く、すでに肺に転移していましたし、それがかなり広範囲に広がっていて、肺は手術不能ということでしたから、たちの悪いがんだったのだと思います。

特異な体験その一、精子の冷凍保存

――ところで治療前に精子を冷凍保存しましたね。あなたの将来のことも考えて、医師から話があり、なさったことだろうと思いますが、病気の場所が場所だけに、ちょっと特異な体験をされました。

 そうですね、こういう体験をする人は、あまりいないと思います。抗がん剤治療が不可欠だった私の場合、副作用で精子をつくりにくくなるということが予測できました。当時、私がお世話になった病院は、半ばボランティア的に、半ば研究の意味合いも込めて、精子の凍結保存サービスをしていました。維持費も含め特に費用はとらないけれども、万が一というときの保証もまたできないという条件で、冷凍保存をすすめ、実施してくれました。子どもができたわけではないけれど、このことに関してはすごく感謝しています。

 ただ、こういう配慮がない医療機関も多いと聞きます。私が経験した十年前と比べても、そんなに大きく改善されていないようです。病気を治すほうが先決だというのはもちろんですけど、とりわけ若い人のがんに関しては、男性でも女性でも、退院したあとの人生を考えてくれるとありがたいのです。この種のことは事前に、適切に対処してもらう必要があります。本人は動転してますし、知識がない場合が普通で、後戻りできないことでもありますから。

特異な体験そのニ、手術直後の病室で入籍

――特異な体験と言えばもう一つ、手術の直後に、病室で奥様からプロポーズを受けて、そこで婚姻届けに署名なさいました。そして、「入院した、入籍した」というメールを送られご友人たちがびっくりされたとか。いまになってみれば、大変思い出深い闘病のひと駒でしょう。

上野創さん

  ええ。手術二日後のことでした。ベッドサイドに立つ彼女が満面の笑顔で「結婚しよう」と言いました。彼女は、同じ横浜支局勤務の2つ上の先輩記者で、付き合ってはいましたが、結婚なんて話はまったくありませんでした。正直言って驚き、すぐには言葉が出なかった。結婚について私自身は、「35歳くらいまでには」という程度のイメージしかなく、なによりがんで手術を受けた直後のこと。この先どうなるか分からない「不良物件」でもあり、「マジですか? いや、そんな。もう少し落ち着いてから・・・」などと、もごもご言っていると、「嫌なの」と切り込まれた。「もちろん嫌じゃないよ」「じゃあ、いいじゃない」となって、病室で私たちの結婚は決まりました。もう、いっぺんに人生の転機というか、分岐点がやってきたような体験でしたけれども、本当に人生というのは何が起きるのかわからないもんだなというのが、当時の実感でもありました。同時にピンチに助け船を出してくれた彼女の支えのおかげでこちらも頑張ろうという気持ちになり、彼女もまた私との闘病を通じて人生をつくっていくというような、お互いに支え合って頑張ったという不思議な新婚生活が始まりました。幸い、10年、仲良くやってきました。

――披露宴をやったのは結局、一年後、双方のご両親は病院のなかで初対面されました。

 そうでした。入籍は手術直後で、一週間したら抗がん剤の治療が始まる予定という本当にあわただしい中でした。両家の顔合わせみたいなものは病院のロビーでしたし、最初の記念写真もロビーで撮りました。パジャマ姿というわけにもいかず、私は上だけシャツにジャケット、下はどうせ写らないだろうというので、パジャマのままで、足元はサンダルという格好でした。式と披露宴はその1年後。退院にこぎつけた後です。

次回は、「抗がん剤治療に託した肺転移」についてご紹介します。

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