がんになっても -がんの治療を、その人「らしい」生活のなかで。-

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乳がん・前立腺がん・肺がんを中心に患者さん・ご家族の体験談、高額療養費制度などの情報を紹介

私からのメッセージ

岸本葉子さん
「私らしさをもとめて」

「今」という時へのこだわり

――岸本さんの作品には等身大の姿が描かれており、共感をもつ多くのファンがいらっしゃいますが、どのようなことをテーマにされているのでしょうか

 ジャンルを大きく分けると3つ。1つが旅のエッセイで、もう1つが日常エッセイ。それから、本を読んで書いた読書エッセイ。なかでも日常エッセイについてのものが一番多いですね。

テーマは、私自身20代・30代と歳を重ねてきて、日常のなかでの課題が少しずつ変わってきているので、それをテーマにしています。例えば、30歳になる前だったら、30歳という節目がすごく気になっていましたし、30歳半ばぐらいでは、マンション購入が人生の上のひとつのイベントとなっていましたので、それをテーマに本を書きました。

 これからの願いとしては、歳ごとに向き合う課題は変わっていくけれども、その課題を日常エッセイというジャンルのなかに取り込むかたちで書き続けていければと思っています。

――エッセイストになられたきっかけって何だったんでしょうか

 以前に中国に留学していた時期があり、少し中国語が話せたことから、中国語を使うけれど行ったことがない台湾に旅行に行きました。その後に書店に台湾に関する本を探しにいったのですが、当時は台湾関係の本があまりなくて、それではせっかく行ったから旅行記を書こうと思いました。それで出版した『微熱の島 台湾』という本が、いまの仕事につながっています。

――では、初めからエッセイストになろうとお考えになっていたわけではないのですね

 はい。学校を卒業してすぐ、会社勤めをしていました。残業が続き、家と会社の往復をしたら一日が終わってしまう日々を過ごしていました。家と会社という狭い世界しか知らないまま時が過ぎていっていいのかという焦りがつのってきて2年と4カ月で辞めて、その後中国に1年近く留学することになったのです。

転機を求めた中国留学
しかし、環境を変えるだけでは自分自身は変わらない。

――中国のどこに留学されていたのですか

  留学先は北京です。北京外国語学院(現北京外国語大学)というところに行きました。そこでは中国語を勉強する外国人学生がいて、学校の中の寮に住んで、寮から教室に通うという生活をしていました。

――留学中に何か生活の変化はありましたか

 北京に行ってすぐは、バスの乗り方や商店での物の買い方とか、一つひとつ日本と違いそれぞれに驚きがあって、それを日記につけていました。でも、やはり人間は慣れることのできる動物なんですね。はじめは見るもの、聞くもの、すべて驚きであっても、だんだんそれが自分にとっての日常になっていくのだと思いました。

 はじめは、わざわざ会社を辞めて場所を変えたからには、たくさんのことを吸収しなければと思って、その吸収した証しとして日記を書いていました。けれども、そのような営みに、ふと疑問を感じたのです。吸収した証しを一生懸命ノートに残すことがよりよく生きることなのか。自分でも強迫的になっているのを感じて、日記を書くのはやめ、もう少し力を抜いて、日常の中に身を置いてみようと思い直すようになったのです。

――では、逆にこれだけは変わらなかった、と言えることは何かありますか

 そうですね。もともと、自分で計画をたてて、それこそ明日できることも先取りして今日してしまいたい性格だったかと思うんですが、あまりそれを認めたがりませんでした。留学中には、思った通りに物事が進んでいかない体験も多々あって、そのような体験を通して逆に、自分で計画を立てて実行していくといったマイペースへのこだわりとか、自分を律していたいという欲求が強い性格だということを再認識しました。

――中国に行って一番感じたことは何ですか

 行って感じたことは、人間は場所を変えるだけで変われるものではないということです。それまで会社勤めをしていて家と会社の往復だったので、とにかく若いうちに、一度まったく違う場所で生活してみたいという気持ちがあったんですね。でも、場所を変えるでは人生の転機とはなり得ないということが、変えてみてようやく言えるようになったんです。

主体的な行動が大切
−決して病気になんか支配されない。

――思い通りに進まないということの代表例としてまさにがんなどの病気もそうですよね。エッセイストとして人気絶頂のときに告知されたわけですが、がんかもしれないと思われたときに、まずどのような行動をとりましたか。

岸本葉子さん

  医師には、2センチほどのポリープがあると言われました。ポリープで2センチというのは決して小さくないから、早く切ったほうがいいと。そこのクリニックは手術・入院の設備はないところだったので、別の病院を紹介すると言われました。その時点ではまだがん という言葉は私の頭にはありませんでしたね。でも、もし手術を受けるのであれば、自分で病院を探すというプロセスを経たいと思って、そこのクリニックから病院に紹介状を書きましょうというのを、いったん待ってもらって、自分で探すことにしました。

 そこのクリニックをあとにしてから、ポリープについて調べようとさっそく本を買って読みました。2センチ以上のポリープの50パーセントはがんであるという記述、正確ではないかもしれませんが、そのような記述にふれて、ああ、がんという可能性もあるのだと初めて思いました。それで、自分でもがんを経験されている外科医のいるクリニックに行くことにしました。その時点ではがんだと思っていたわけではありませんが、自分で考え、選んでいきたいという患者さんとしての心のようなものが、すでにめばえていたといえるかもしれません。

――この時の岸本さんのように、もしかしたら自分はがんかもしれないと不安に思っている方が、世の中に多くいると思いますが

 そうですね。何より大切なのは、がんかもしれないと思ったら、それを「かもしれない」のままで放置しないことだと思います。
人に相談をしてもいい、本やインターネットで調べてもいい。「かもしれない」のまま放置しないためには、何をすればいいのか、どんな検査があるのか、どこで受けられるのかなどを知って行動に移すなどして、主体的に動くことが重要だと思います。

 がんとわかると、「なぜ私が…」と思ってしまいがちですが、この時点で原因を探ったところで、がんになった事実はどうすることもできません。
 私自身は、過去を振り返って、なぜがんになったかを問うよりも、今現在のことに目を向けていきたいです。今現在の日々の中に、何か小さなことでも目標を設定して、その目標をひとつひとつクリアしていくことに集中したいです。それが結果的には、病気に支配されないことにつながると思っています。

がんイコール死「ではない」

――がんと向き合うなかで、今まで強く感じたこと、印象に残っていることはなんですか。

 一番印象深いことを挙げるなら、がんに対してのイメージが全く変わったことです。私にとって自分ががんになる前まで、がんに対し死とかなり近いイメージをもっていました。けれども自分がなってみて、がんイコール死「ではない」ということが実感としてもてたのです。

――がん になられる前は、やはり岸本さん自身もがん イコール死と思われていたのですね。今でも世の中の多くの人が、がんに対してそのような間違ったイメージを持ってしまっていると思うのですが、それはなぜだと思われますか。

 そうですね。なぜ私ががんイコール死と思っていたかというと、私が20代の頃に読んだ闘病記が、昔の闘病記だったので、死に向かっていかに集約的に生きたかという話がほとんどでした。そうした時代的な環境の影響もあるかと思います。

――では、ご自身がその立場になられて、何で考えが変わったのだと思われますか

 一つは主治医の説明をよく聞くことで、治る確率もまだあるのだということを知ることができました。私が読んだ闘病記に書かれていたのは二十年近く前のがん医療です。その頃とは、がん医療は変わっています。主治医の説明に耳を傾けることで、先入観を頭から引き離し、がんイコール必ずしも死ではないとわかったのです。

 いろいろな患者さんを知ることでも、イメージは変わりました。ステージでいえば、末期と呼ばれているような人でも、会社勤めをしていたり普通の家庭生活を続けている例が周囲の患者さんにもたくさんいます。そんな話を見聞きするにつれ「がんイコール死」から「がんイコール死ではない」へと変わっていったのだと思います。

がんは偶然加わった人生のイベント

――周囲の患者さんの話とありましたが、現在、参加されている『がんサポートキャンペーン』をはじめ、それ以外のがん にかかわる活動で多くの人と出会うのでしょうね。活動という面で、がんになる前と何か変化はありましたか。

岸本葉子さん

 仕事そのものは、がんになってからも以前と変えていません。数や量は減らしましたが、質は変えない。質というよりジャンルといった方が正確ですね。以前と同じに、日常エッセイ、旅のエッセイ、読書エッセイの3つをジャンルにしています。日常エッセイの中では、がんのこともタブーにすることなく書いています。

 がんになる以前にしていたことから百八十度転じて、これからはがんのことだけのために活動していくという気持ちは、私になく、前からの私のままテーマの一つにがんのことが付け加わったという位置付けでいます。三十という節目、マンション購入という出来事と同じように、がんも、歳を重ねていく過程においてたまたま自分の人生に付け加わったことのひとつであるにすぎないという考えで、自分自身では一貫しています。他の人からどのように受け止められるか不安ではありますが、自分ではその立場は守りたいし、そのように理解していただけることを切に願っています。

――では、エッセイ以外の活動では、どのようなことをなされているのですか

 がん関係で活動していることは、NHKの『がんサポートキャンペーン』に、ときどき出演しています。がんイコール死というイメージが、私がふつうに話している姿によって少しでも変わるなら、こんなにうれしいことはありません。

 というのも、私は入院中に、たまたまNHKの教育テレビで『働きながらガンと闘う』というテレビを観ていたんです。がん患者さんになって間もなくで、病理の結果、再発リスクが低くないと知ったばかりで、さまざまな不安や恐怖を抱えていました。そのような状態にある私にとって、再発後も普通に会社勤めをしたり、家庭人としての役割も普通にこなしている人を見ることは、たいへんな励みになりました。

 その励みになった経験から、まだがん患者さんになりたてで、あるいはがん患者の家族になりたてで、不安でいっぱいの人に、「ああ、この人もがんで、進行もしていたというけれども、つらかった治療のことも、ふつうに笑って話しているじゃないか」のように思っていただければという願いから、出演しています。テレビの仕事はそれほど積極的にはしていませんがこのNHKの『がんサポートキャンペーン』については、機会をいただければ出るようにしています。

 また、ジャパン・ウェルネスというがん患者さんやご家族をサポートする団体に入っています。私のがんを診断した医師がその団体をはじめたことがきっかけです。ここではサポートグループへの参加の他、ボランティアスタッフとなって名を連ねています。団体の主催するフォーラムで、控え室の係をつとめたりなんですけれど。そこでの多くの人たちとの出会いは、勇気と希望の源です。

――どのような人が参加しているのですか

 部位もステージも様々な患者さんとそのご家族です。共通して言えることは、皆さんすごく生き生きしています。参加する前はサポートグループに来る人は依存的なのではないか、という先入観をもっていたのですが、まったく違いました。

――グループの活動については、次回以降にまたお話を伺っていきたいと思います。

 がんになったからといって、自分の生き方を変えず、一日一日毎日を大切にしていらっしゃる岸本さん。その優しい笑顔のなかに本当の意味での力強さを見たような気がします。次回以降では、岸本さんの“入院中に考えられたこと、退院後の生活、日常生活に取り入れている食事療法”などのお話を伺っていきながら、岸本さん流「希望とあたりまえの生活」をご紹介していきたいと思います。

次回は、「告知」ご紹介します

<岸本葉子さん 関連図書>

『がんから始まる』

『がんから始まる』

岸本葉子 著(晶文社2003年)

著者は虫垂がんと診断された。しかも、S状結腸に浸潤。約2年経つが、再発の不安は消えない。サポートグループに入会、漢方、食事療法、行動療法…がんを受容しながらも希望を捨てない。渾身のがん闘病記。

『がんと心』

『がんと心』

岸本葉子 著(晶文社2004年)

自らもがん患者であり、女性の生き方、考え方などを身辺雑記を中心に、真摯で楽しいエッセイとして発表してきた岸本さんと、精神科医で現在は国立がんセンター研究所支所・精神腫瘍学研究部部長で、がんの診断後に生じる落ち込みや不安のケアを専門とする内富氏による共著。

『岸本葉子の暮らしとごはん』

『岸本葉子の暮らしとごはん』

岸本葉子 著(昭文社2005年)

『岸本葉子の暮らしとごはん』岸本葉子 著(昭文社2005年)数年前にがんにかかり、回復を契機に「食」本来のあり方と向き合い、生まれたのが、しみじみおいしい岸本流ごはん。多くのファンをもつその暮らし方に、魅力ある広がりを与えている。

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「自分らしくがんと向き合う皆さんの姿、想い」
「患者さんからご家族への想い」「ご家族から患者さんへの想い」

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