――米国の雑誌による医療施設ランキングで十数年間に渡りトップの座にあるジョンズ・ホプキンス大学附属病院に行かれたそうですが印象はいかがでしたか。
かつて同じ職場で一緒だった医師の紹介でこの病院に行きました。病院全体を見せていただいた後、最後にブレストセンターを案内してもらいました。感慨深かったのは、施設もスタッフもとても充実していたことです。ソファーは一人がけのものも含め大小いろんな形のものが置かれ、色彩もカラフル、まるで家庭のリビングにまぎれこんだようでした。壁には写真や絵がいっぱい。患者さんが描いたものもあります。病院のにおいをなるべく消して、アットホームな雰囲気を演出し、くつろいでもらいたいという意図なんですね。ここでは看護師自身が意見を言って、選んで置いているのだそうです。
そのことにも象徴されているのですが、看護やケアは医師の指示によって行うのではなく、看護師が主体的に行っているんですね。患者さんと接しているのは自分たちだというプロフェッショナルの自負にあふれていました。
強く印象に残ったのは、新たに乳がんと診断された人を先輩患者=サバイバーが援助する「サバイバー・ボランティア・プログラム」が充実していたことです。サバイバーの体験を次の患者さんのために役に立てようというもので、研修を受けたサバイバーが、年齢や境遇の近い患者さんの治療や生活の相談にのったり、アドバイスをしたりする制度です。自らも乳がんサバイバーで看護師でもあるジョンズ・ホプキンス・ブレストセンターの所長、リリー・ショックニーさんが始め、全米に広がりつつあるそうです。
サバイバーの採用と教育も看護師の重要な仕事だと言います。採用されたサバイバーは医療スタッフとしてホームページに写真入りで紹介されており、みんな誇らしげに見えます。
ここでは病院全体が、患者さんに「一緒にがんばりましょう」と語りかけているような、その気持ちが施設やスタッフからひしひしと伝わってくるのを感じました。
――その視察の際、その後の人生を変える運命的な出会いがあったそうですね。
帰り際に、スタッフの方から1冊の本を渡されたんです。リリー・ショックニーさんの著書『Navigating Breast Cancer』という本です。リリーさんご自身は、サバイバー・ボランティア・プログラムの普及活動で全米を駆け巡っているため、私が訪問したときもお留守でお会いできなかったのですが、飛行機の中で読んで、これを日本の患者さんにも伝えたい、という衝動がわきました。
本には、診断を受ける前後から治療中、治療後までの揺れ動く気持ちとの向きあい方、そして生活がどう変わり、それをどう解決していくか、といったことが治療法の解説と同じぐらい書かれていました。医学的なことが書かれた本はたくさんありますが、この本は医学的な知識に加えて、サバイバーの知恵も書かれている点に大きな特徴があります。ご自身の経験、それと膨大な人数の患者さんに接して見聞きした生活の知恵・闘病の知恵があふれているのです。
帰国後、誰か翻訳する人がいないか、視察を仲介してくれた医師に相談すると、「自分でやればいい」と言われ、トライしました。途中で見せると、これいいね、と出版社に話を持ちかけてくれ、リリーさんの快諾を得て、日本での出版が決まったのです。
本の表紙には蝶のイラストが載っていますが、これはリリーさんのお気に入りなんです。蝶は卵から幼虫になり、さなぎを経て羽ばたきますが、その見事な変身が、乳がんサバイバーのようでもあるというんですね。多くの患者さんは病気になってつらい経験をするけれど、その体験を経て生まれ変わったように心身とも健康になる、そうなりたいという願いが込められているんです。
――本には青木さんの体験やご意見も入れられたそうですね。
原著の前書きに「乳がんと診断されたときの正しい進路案内」というリリーさんが付けたタイトルがあります。これにリリーさんの切実な願望がよく表れています。後に続く患者さんのためになれば、という一念で書かれた本ですから。おこがましい気もしたのですが、日本の医療の実情に合わせ、補足する意味もあって、折々に私の体験も入れさせていただきました。
――本には編訳者として青木さんも前書きを寄せておられます。タイトルは「自ら治療に参加して選び取ってほしい」となっています。これは具体的にどんなことを言っているのですか。
米国では医療者が患者さんに「治療に参加してください」とよく呼びかけます。日本でも聞くようになりましたが、実際どういうことなのか、多くの人はピンとこないのではないかと思います。それは医師に一切を任せる「お任せ医療」とは対極の医療です。
お任せ医療では、標準的な治療法を基準に治療法が選ばれます。このとき、それが自分の希望にあう治療なのか、患者さんには判断がつきません。同じように医師にも、患者さんから言ってもらわなければ、患者さんの希望は伝わりません。そして、終わってみれば望んでいた治療とは違うということが起こることもあります。お寿司屋さんでしたら、「お任せ」で頼んでもそう大きな問題は起こりません。出てきたものが好みにあわなかったり違うものを食べたかったりすればそう言えばよいのですが、医療はそうはいきません。ちょっとあわなかったから次はこれにして、というわけにはいかないのです。
私がリリーさんの原著に追加した部分のひとつに、妊娠中の治療と治療後の妊娠をどう考えるかというコラムがあります。
私の場合は、子どもを持つことを望んでいたので、治療法を決定するまでに担当医と何度も話しあいました。年齢、治療との兼ねあいも考えた結果、治療を続ける限りは諦めなければいけないことを感じ取りました。患者さんが治療に参加する、すなわち自分の状態をきちんと知って、希望を伝える。すべての希望が叶うとも限りませんが医療者と話しあいながら治療法を決めていけば、このような食い違いは起こらなくなると思うのです。
治療が始まると、病気を治すことに集中しがちですが、同時に将来のことも考えて治療法を選択してほしいと思うのです。
――患者さんが治療に参加するには、どういったことが必要ですか。
私の経験からお話します。
まず重要なのは、病状を正確に把握することだと思います。ぜひ、医師の説明を聞くときはメモを取ってください。医師は難しい専門用語を使いがちですが、メモさえあればあとで調べることができます。家族や連れあいを同伴してメモを取ってもらったり、質問してもらったりすることもできます。忙しい医師に訊くコツとして、質問をリストアップしてそれを渡すのもよいですね。
私自身は病理検査の診断書のコピーをもらって、とても役に立ちました。悪性度の目安となるがん細胞の性質が書いてあり、化学療法、ホルモン療法などの治療方針を決めるうえでとても重要な情報です。また、私の場合は病気になる以前からほぼ毎日のように日記をつけていたのですが、ふさぎがちな気持ちを整理することができ、自分の治療が進んでいることを確認できる行動記録にもなりました。気持ちや思考を整理し、自分自身と向きあうことに役立ちました。
次は情報を収集し、自分にあった必要な情報を選択することです。主に公的機関が発信している信頼のおける情報を参考にすればよいかと思います。誰がいつ発信したかわからない情報は、間違っていたり古くなっていたりする可能性があるので、惑わされないようにしなければなりません。迷ったら医師に確認するとよいですね。
その後、仕事を続けたい、妊娠の希望があるなど、治療を選ぶ上で自分の希望を医師に伝え、医師が示す選択肢の中から治療法を自分で決めてほしいです。事実から目をそらさない心がまえが必要です。それはもしかすると自分の生き方の変更や、あるものを捨てる選択を迫られることかもしれません。でも、事実を知らされないで、自分の治療法・生き方を自分で決める機会を奪われるとしたら、よりつらいのではないでしょうか。ご自身が選択した医療なら、多くの場合、医療チームや家族とともに乗り越えられるはずです。ただ、治療中の気分や健康状態、副作用などは変化することもあるので、そんなときはきちんと医師に伝えてよりよい選択をしてほしいです。
次回は、【一人の生活者として、自分を生きるための知恵】をお届けします。