がんになっても -がんの治療を、その人「らしい」生活のなかで。-

アストラゼネカ

文字サイズ

乳がん・前立腺がん・肺がんを中心に患者さん・ご家族の体験談、高額療養費制度などの情報を紹介

私からのメッセージ

杉山 徹さん
「私のがんは神様が与えた人生の仕切り。
ならばその体験を一生懸命伝えるのが私の使命。」

検診で発見された肺がん

――肺がんが見つかった経緯をお話しください。

杉山徹さん

がんが見つかったのは、2010年に受けた一般健診のときです。胸部単純撮影(胸写)にて、左肺の上の方(上葉)に4 センチ弱の影があり、精密な画像検査で確認しました。この大きさだと、毎年検診を受けていたので、昨年に見つかっても然るべきだったのですが…。さらに、よく見なおすと、2年半前に受けたPET/CTにも2センチ程度の異常陰影があったんですね。これを知った時はショックでしたが、後ろ向きにエネルギーを使うことはせず、前向きに進むことにしました。検診の盲点かもしれませんし、読影する放射線医が不足していたことも考えられますね。

医療は完全ではないのでこういうこともありえるのですが、わが身に起こってみるとつくづく悔しいですね。でも前を向かないと、ものごとは進みません。今は2人に1人ががんになる時代。くよくよしても始まらない、と自分を叱咤激励して、どう治療をするか、どうしたらベストの治療を受けられるかよく考えました。

どこで治療することが一番よい結果をもたらすか

――治療を受ける施設や医師はどのように決めたのですか。

勤務している大学(単身赴任)のこともあり、どこで治療を受けるかについては悩みました。がんを体験している医学部時代の同級生や腫瘍内科専門医の大先輩に相談したところ、「お前、人生の一大事だから、どこの施設でもっともよい医療が受けられるか。家族の支えが得られること。自分が今まで築いた人間関係を総動員するつもりで、その助けも借りながら治療にあたらなければならない」と言われたんです。それでこの条件を満たし家族が住む故郷の福岡の病院で治療を受けることに決めたんです。私は婦人科がんのことはわかっても肺がんのことはわからず、医師でも適切な治療施設を決めるということは容易でないことも知りました。

手術は自宅がある福岡の施設でお盆休みを利用して2010年の8月に受けました。当初は家族にしか伝えなかったので、見舞いとか問いあわせに煩わされることなく、医師になって初めてゆっくりとした時間を過ごすことができました。9月から再発防止のための術後補助化学療法(抗がん剤治療)を始めました。最初に化学療法を受けるとき、担当医から「6つの薬剤選択肢がある、どれを選ぶ? 」と聞かれ、働きながら受けられ、脱毛が少ないことを希望しました。そして、厳しい化学療法を体験し、せっかくなら患者さんの気持ちが少しでも分かるようになりたいという想いもありました。実際、比較的強力な治療になり、先輩の腫瘍内科医からは「勇気ある選択ですね」と言われました。自分としては、化学療法を受けつつ仕事を続けたい、という思いがあったので、脱毛の少ないとされる薬剤が選択の重要な基準でした。治療後、だいぶ髪の毛は抜けましたけどね。3分の1ぐらいに減ったでしょうか。念のため、カツラは買ってあるんです。そろそろ被らないといけないかもしれません。

――お仕事には復帰されたのですか。

手術から2週間後に学会に出席したり、手術を担当したりしました。しかし、化学療法が始まってからはときどき病院を抜け出して講演に出かけたりはしていましたが、大学の勤務をこなすことは無理でした。朝デスクワークをして、外来診療をして、その後に手術をするという体力はありませんでした。化学療法はたいへんな治療法ですね。社会全体でサポート体制を考えないといけませんね。

安心して治療に専念できる環境

――家族や勤務先には罹患をどのように伝えましたか。

病気のことを最初に知らせたのは弟(開業医)です。すぐに電話を切ったのですが、弟は何か言わなければいかんと思ったのでしょう。そのあとたて続けに10回以上も電話が来ました。どっちが患者かと思うくらい狼狽していました。おふくろにはまだ言っちゃいかん、と口止めしたのにすぐ伝わってしまいました(笑)。すぐさまおふくろから電話がきて、泣き出さんばかりで困りました。親父をがんで亡くして、自分自身も早期でしたが大腸がんを経験している。今度は息子かと心配でたまらなかったんですね。こっちもそこに気をつかって弟にまだ話すな、と言ったのですが無理な注文でした。

勤務先の大学には手術後の化学療法を始める前に伝えました。スタッフは冷静に対応してくれました。私が赴任後、皆で各自の専門性やチームの総合力を高めるよう学習してきたので、私がいなくても大丈夫と思い、安心して治療に専念することができました。開業医の場合では、なかなかそうはいかない。代わりがいませんから。私の先輩が進行した肺がんになって、私より長期間に及ぶ化学療法をやっていましたが、心理的にも体力的にも相当つらかったと思います。毎日の診療が終わって、奥さんと2人で泣いていたそうです。医者に限らず仕事を休めない経営者、サラリーマンだって大勢いるはずで、そういった人たちを支える場があるといいですね。まずは職場ががん患者への偏見をなくして復職をサポートするようになればいいですね。

家族の絆が大きな支えに

――闘病に際して、やはり家族の存在は心強いものですか。

内心はわかりませんが家族は割りと冷静に受けとめてくれました。高校を卒業した年頃の息子はちょうど父親離れをする年齢ということもあって普段あまり話す機会はないのですが、妻と一緒に泊まりがけの看病に来てくれました。妻はソファーベッドに寝て、息子は椅子に寝て、なんだか変な感じでしたがうれしかったですね。 「親父、自分の進路はちゃんと考えているから心配せんでもいい」なんて、普段だったら絶対言わないことも言ってくれて、こそばゆかったですがこれもうれしかった!

妹は郷里の医大教授に嫁いでいますが、9歳違いですので、私が大学に入った時は小学生でしたので、これまでゆっくり話すこともできませんでした。今回の入院では病室に泊まって看病してくれたり、何回も食事を作ってもってきてくれたり、いろいろ語りあうことができました。こんなことは、おそらく私ががんにならない限りなかったことでしょうね。弟はさっき言ったように自分のことのように心配してくれています。母親にはこれ以上心配をかけたくないから、早く元通りの元気な姿を見せたい!よく言われることですが、やはり病気のときの家族の存在って大きいですよ。とくにがんの場合、家族の支えがなければ怖くて進めないでしょう。自分のためだけではない、家族のためにも頑張らなきゃ、と思える。家族の絆から病気と向きあうという気持ちもわいてくる。私の気持ちの拠り所ですね。

皆さまの体験が誰かの生きる力になります

「自分らしくがんと向き合う皆さんの姿、想い」
「患者さんからご家族への想い」「ご家族から患者さんへの想い」

このようなテーマで皆さまからの
体験談を募集しています詳しくはこちら