がんになっても -がんの治療を、その人「らしい」生活のなかで。-

アストラゼネカ

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乳がん・前立腺がん・肺がんを中心に患者さん・ご家族の体験談、高額療養費制度などの情報を紹介

私からのメッセージ

額田 勲さん
「自身のがんと向きあいながら、
地域に根ざした医療で患者さんを支える」

いつでも、だれでも利用できる地域に根ざした医療

――生まれ故郷の神戸で、病院での診療にとどまらず、近隣の住民に疾患の予防や健康増進・維持を働きかける地域医療に取り組むようになったのは何がきっかけだったのですか。

額田勲さん

1979年に、勤務していた病院をやめることになったことがきっかけです。地元神戸で、学生時代から理想としてきた「地域の人々が健やかに安心して暮らせる医療環境づくり」を目指して開業しようとしました。しかし、資金はなく、先輩医師や仲間の医師が数千万円の浄財を寄せてくれたおかげで、なんとか翌年19床の内科診療所をスタートさせることができました。開業当時は夜間も休日も年末・年始も関係なく、新生児以外のいかなる急患も断らないというポリシーで診療を行い、ほぼ毎夜、2〜3人の急患に起こされるような診療が続きました。

開院から3カ月ほど経った日曜日に看護師と2人で76人の急患を診たことがあるのですが、数人を除いてほとんどが生後3週間から小学生までの子供でした。週に数回は、手に負えない重症の子供を都心部の市民病院へ搬送するために、救急車に同乗することもありました。今となってはなつかしい思い出ですね。このような小児救急から私たちの地域医療活動は始まりました。今でこそ「コンビニ受診」などと批判されることもありますが、「いつでも、誰でも」受診できるのはよいことだと前向きに考えていました。

とはいってもその後は決して順風満帆ではなく、小児科からの撤退をはじめ、経営赤字、医師・看護師不足など、中小の病医院が経験するひととおりの苦難を何度も経験しました。きびしい現実の前に打ちひしがれそうにもなりましたが、開院のときに掲げた理想を目指して、30年間なんとか歩んで来ることができました。

震災後の被災地でどのような医療が実現できるのか

――今回の東日本大震災で甚大な被害を受けた仙台にも数度行かれて、支援の手を差しのべられておられますね。

私たちも阪神・淡路大震災を経験しました。同じ被災者としてお役に立ちたかった。あのとき道路や建物はどんどん再建されるのに、被災者は生活苦にあえいでいる光景があちこちで見られました。そこで1700戸の仮設住宅が立ち並ぶ神戸市西区にプレハブの仮設診療所を開設し、病院の職員らと被災者医療、支援に取り組みました。そこで見たのは、誰にも看取られずに亡くなり何日も経ってから発見される「孤独死」、また震災を生き延びたのに自殺があとを絶たない光景でした。

この阪神・淡路大震災のときの教訓を生かしたいという想いから、3度、現地に入って、どんな支援ができるか現状を調査しました。仮設住宅が建設された後、地元の医療機関と連携して支援していきたいと考えています。

心の問題にも目を向け患者さんやご家族を支える

――病院には、たくさんのがん患者さんがいらっしゃるそうですが、地域医療の立場からどのような役割を果たしておられるのでしょうか。

額田 勲さん

私の専門は内科で、がんの専門医でもありません。しかし、がんの専門病院で手術を受けた人や治療を終えた方が、居住地の近くでのフォローを求めてこられます。そういった患者さんに必要な医療や、専門病院で治療の手立てを失った患者さんに生活を維持していくための医療の提供を目指しています。

患者さんを長期間にわたって支えていく上では、患者さんが抱えがちなこころの問題にも目を向け、ご家族からもよく話を聞いて一人ひとりに接するようにしています。中には、自宅療養中に病気が悪化したり、体調を崩したりして不安になる人もいらっしゃいます。がんという疾患には再発の心配もあります。

そのような不安を抱えた患者さんたちやご家族の相談を受けるのも地域医療の役目です。

医療の進歩によって、長期予後が改善し、生存期間が以前に比べてはるかに長くなっています。そのような中で、がんとともに生きる人たちを支える役割が地域医療にも求められています。

次回は、【自身のがん体験を通して思ったこと】をお届けします

皆さまの体験が誰かの生きる力になります

「自分らしくがんと向き合う皆さんの姿、想い」
「患者さんからご家族への想い」「ご家族から患者さんへの想い」

このようなテーマで皆さまからの
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