私のがんが見つかったのは、2005年の9月でした。
病院長になって病院にPETセンターを新設したとき、テストを兼ねて検査を受けたときのことです。2センチほどの胃がんでしたが多くのリンパ節に転移をしている性質の悪いがんが見つかりました。
経験上、100人のうちに2〜3人しか助からないなと思いました。
病院長になった前年に、忙しくてがん検診を受けなかったのです。もしきちんと受けていればもっと早期に発見することができたかもしれないと後悔しました。
しかし、病院のトップとしては感傷に浸っている暇もありません。すぐスタッフに召集をかけ、病院運営について必要な打ち合わせを済ませました。
さて治療はどうするか?
最初に頭に浮かんだのは「何もせず残された時間を元気に生きよう」ということでした。
でも次の日には「外科医としてこれまで歩んできた道を全うするためにも、がんに打ち勝つ努力をすべきだ」というように日ごと新しい考えが浮かんでくるのです。
どちらがいいというのではなく、がんにかかった患者さんの気持ちは、その事実と必死に向きあおうとして、こうやって日ごと浮き沈みしつつ変わるのかもしれない、とわかった気がしました。
家族に知らせたのは、がんが見つかって、怒涛のような一日が過ぎた夜遅く。
電話の向こうの妻の様子はわかりませんでしたが、その後は一貫して「あなたは絶対死なない。一緒に前に進みましょう」というメッセージを送り続けてくれたように思います。
数日後には、さっさと新車を買うことを決めてくるなど、突飛な行動もありましたが、妻は、不安や心配は一切表に出さずに私の身体の状態をそばでみて、いつも私を支え続けてくれました。
そこで私が冷静な医学者の頭に戻って出した結論は、新しい治療法にトライしてみよう、ということでした。
抗がん剤と放射線でがんを可能な限り小さくした後に、残ったがんを手術で取る方法です。胃がんに対する標準的な治療法ではないため、自分が責任を持つということで、院内の関係者を説得して回ったのですが、自分が医師でなければ実現は難しかったと思います。
当時待っている患者さんのために日常の診療も休むわけにはいかない中で、2カ月間の抗がん剤と放射線治療を完遂し、手術を受けることができました。
手術後、一時期精神的にも体力的にも弱っていた私は、何故か無性に桜が見たいという思いにとらわれました。
開花時期が人事異動の煩わしさを思い出させるために、それまでは嫌いだったはずの桜なのに。潔く散っても必ず次の年に咲く生命力に思いを馳せたのかもしれません。
私は「生きたい」と切に思いました。
幸いにも運は私に味方をしてくれたようで、毎年、桜に季節を堪能させてもらっています。
次回は、【がんが教えてくれた「患者としての気持ち」と「医師としての役割」】をお届けします。