診断されたとき、同じ体験をした人の話が聞きたいと強く思いました。例えば、治療では何がつらいのか、いつ退院し、いつ仕事に復帰できるのかといったことです。不安でいっぱいの時期に、支えになるのは同じ体験を持つ人の言葉です。しかし、私の周囲にはひとりも乳がん体験者が見当たらなかったのです。
また当時、山梨県には乳がんのネットワークが確立されておらず、東京や神奈川まで出向く必要がありました。患者会の窓口に電話しても、都心部の情報はあっても甲府のことはわからないというばかり。しかも、直接会って話すわけではないので、電話の向こうはどんな人なのか顔が見えない不安もありました。
患者にとって本当に必要なものは身近な情報です。その地域では、どこの病院に専門医がいてどんな治療ができるのか、治療を進めるにはどういう手続きをするのか、何か支援はあるのか、同じ病院で治療している患者さんに話を聞くことはできないかなど、治療していく上での情報が不足していました。その人の普段の生活の中に、手術や長期間の治療が入ってくるわけですから、地元の身近な情報が一番必要だったのです。
乳がん告知は、私にとって思った以上の衝撃でした。入院中に強く思ったことは体を動かせるようになったら、「自分がやろうと決めたのにやってこなかったこと」「理由をつけてやらずにいたこと」はすべて、「避けずに実行しよう」と決めました。「できない理由を探す」のではなく、「実行できる工夫をしよう」と決意しました。がんを体験し、命に向き合ったからこその変化でした。
手術から、3年が経った2004年。副作用で体が思うように動かなかった時期も乗り越え、体が療養生活にも慣れたころ。甲府市が主催する市政への男女共同参画を目的とする勉強会に参加するようになりました。そして、2年間参加し、最終回の日に、当時の仲間に乳がんをカミングアウトし、山梨県で乳がんの啓発活動をしたい旨を伝えました。すると、助けになってくれるというではありませんか。さっそくボランティアセンターなどに相談して、支援してくれる仲間がそろいました。そこで、今しかない、やってみよう!という気持ちから、「山梨まんまくらぶ」という乳がんの患者会を立ち上げました。
私ががんと診断されたときに、まず思い浮かんだのが、手術を終え、治療を進めていく中でも、今まで通りの生活を続けたいということでした。そのために一番必要だったのは、同じ体験者からの声です。どうすればつらい治療や副作用も乗り越えられるのか、気持ちを理解してくれる同じ体験者の生の声が一番の支えになりました。
私が体験したことは、次に続く患者さんへ届けたい。その気持ちが、医師と患者の間のかけはしとなる現在の活動へとつながっています。
入院中に心に決めたこと。動けるようになったら、やりたいことは実行する。それが今の活動の原動力かもしれません。
次回は、【乳がん治療を乗り越えるコツ】をお届けします。